沿革
大正・昭和
1916年(大正5年4月) | 故元会長勝亦査一が配電盤並びに付属機械器具の製作を目的として勝亦電機製作所を東京都芝区(現港区)三田四国町に創設 |
1921年(大正10年-月) | 工場を三田四國町に新築、移転 |
1933年(昭和8年-月) | SK式電磁接触器で特許を取得 |
1936年(昭和11年1月) | 大田区糀谷町2丁目に工場を新築移転し、法人組織に改める。 |
(同年11年) | 芝区に営業所を開設 |
1945年(昭和20年4月) | 戦災により全建物消失のため静岡県原町に移転 |
1946年(昭和21年6月) | 沼津市に工場を建設移転し、資本金100万円に増額 |
1947年(昭和22年3月) | 蒲田区(現大田区)に東京営業所を開設 |
1948年(昭和23年5月) | 三田四國町に東京営業所を移転 |
(同年6月) | 沼津工場を新築し操業開始、本社も同地に移転 |
1949年(昭和24年3月) | ニュープラスチック工業を原町工場跡地に設立 |
1951年(昭和26年) | 東京都品川区北品川に東京工場設立 |
1952年(昭和27年1月) | ニュープラスチック工業が三島市に移転、三京合成樹脂株式会社として再出発 |
(同年5月) | 東京営業所を東京工場敷地内に移転 |
1956年(昭和31年5月) | 東京工場を増築すると共に、資本金を400万円に増額 |
1959年(昭和34年5月) | 本社を東京に移し、資本金を500万円に増額 |
1960年(昭和35年2月) | コントロールセンター「SCC」を開発 |
(同年4月) | 東京工場に板金工場を新設。 |
(同年6月) | 資本金900万円に増資 |
1962年(昭和37年6月) | 資本金を1350万円に増資 |
(同年6月) | 資本金を1800万円に増資 |
1964年(昭和39年6月) | 資本金を2400万円に増資 |
1965年(昭和40年6月) | 資本金を3000万円に増資 |
1966年(昭和41年5月) | オートグラフィックを電設工業展に出品、東京都知事賞を受賞 |
(同年6月) | 資本金を3500万円に増資 |
(同年-月) | 勝亦章文が代表取締役に就任 |
1969年(昭和44年-月) | コントロールセンターの簡易型としてユニット方式制御盤「SBB」を開発 |
(同年10月) | 板金加工部門を独立させ、株式会社大崎鈑金工業所を設立 |
1972年(昭和47年11月) | 納入した製品のメンテナンスを担当する関連会社として株式会社メインテックを創設 |
1975年(昭和50年9月) | 大阪営業所開設 |
1976年(昭和51年4月) | 自社開発の部品発注処理システムKOCS-Iを運用開始 |
1979年(昭和54年5月) | 勝亦章文が代表取締役会長に、勝亦俊之が代表取締役社長に就任 |
(同年-月) | OEM方式による日本専売公社向けシーケンサ「JTSTSC」の販売開始 |
1986年(昭和61年5月) | 勝亦研二が代表取締役社長に就任 |
1988年(昭和63年-月) | システム開発などを担う関連会社として株式会社イデアテックを創設 日本配電制御システム工業会 耐熱形分電盤形式認定取得(5種類) |
平成
1990年(平成2年-月) | 日本電気協会 キュービクル式非常電源専用受電設備形式認定取得(2種類) |
1997年(平成9年-月) | 日本電気協会 キュービクル式非常電源専用受電設備形式認定取得(2種類) |
1999年(平成11年-月) | 日本配電制御システム工業会 優良工場認定取得 |
2001年(平成13年8月) | 勝亦隆が代表取締役社長に就任 |
2006年(平成18年-月) | ISO9001 品質マネジメントシステム審査登録 |
2012年(平成24年5月) | 勝亦隆が取締役会長に、勝亦章浩が代表取締役社長に就任 |
2016年(平成28年4月) | 創立100周年記念式典を東京・有楽町の帝国ホテルにて開催 |
2017年(平成29年4月) | BCP策定 |
新たな100年に向けて
100 年という歴史の節目を機に、これまで当社を支えてくださった皆様への感謝を新たにするとともに、新たな100年も、創業の原点や先人たちの歩みを次の世代へとつなげ、お客様の信頼に応える技術者集団として社会に貢献してまいる所存です。
創立100周年記念式典・祝賀会(東京・帝国ホテル「富士の間」で開催)